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映画「ランボー」は、何を教えてくれたのか。

シルベスター・スタローンの出世作は「ロッキー」。そして、アクションスターとしての地位を不動のものにすることになった作品が「ランボー」。あるベトナム帰還兵の孤独な戦いの話だ。

*ランボーはなぜ 街を破壊するほどまでに

映画の公開当時は、ベトナム戦争終結から時間も経っていたが、アメリカ社会からベトナム帰還兵に向けられる目は冷たく、戦争での労苦をねぎらう者は限られていた。

国のために戦って来たにもかかわらず、帰還した当時の歓迎ムードは一時的で、その労苦はすぐに忘れられ、厄介者として扱われることも多かった。帰還兵のPTSD問題も深刻化していた。

*スタローンの熱演に胸が熱くなった

PTSDとは、心的外傷後ストレス障害のこと。命の安全が脅かされるような出来事などにより強い精神的衝撃を受けることが原因で、激しい苦痛や生活への障害をもたらすストレス障害を言う。

命の安全が脅かされる出来事とは、戦争や天災事故や犯罪や虐待などのことだ。PTSD自体は戦争帰還兵の研究から生まれたものだ。心的外傷とは俗に言うトラウマのこと、すなわち長い間それにとらわれてしまう状態のことを言う。

ベトナム帰還兵も、PTSDの症状に長く見舞われていた。精神的不安定による不安や不眠、そしてフラッシュバック。何よりも母国アメリカに裏切られたことが、彼らを苦しめていた。

*保安官はランボーに 自分が法律だと言った

映画の冒頭、主人公ジョン・ランボーは、食事をとるために立ち寄った田舎町で、帰還兵に偏見をもつ保安官に街から出て行けと高圧的な態度をとられる。反抗したランボーは保安官事務所に連行され、取調室での仕打ちに戦争当時がフラッシュバックする。

戦争当時、囚われの身になった時に受けた拷問がよみがえる。保安官助手たちを叩きのめし、ナイフを奪い返し逃走する。その戦いは山の中から始まり、州兵が出動する中で舞台を街へと移す。

*バイクをうばい 山に向かって逃走する

この映画を見始めた時は、ロッキーの流れの中で見ていた。筋骨隆々たる体に鍛え上げたシルベスター・スタローンが、今度は街の中で戦う帰還兵を演じているといった感じだった。

だがランボーは泣いていた。唯一の友人であったような元上司の大佐の胸で大声を出して泣いていた。「It’s a long road」が流れる中で連行されるランボーは、戦争に翻弄されて生きる哀しい男だった。戦争の虚しさってものを初めて考えてみたね。

*肖像画のような よく知られたランボーの写真
*自分のM-65 Made in USA の宝物
*最近はベトナム製などしか見ていない

映画として見ているかぎり、ランボーが1人で戦う姿に、カッコよささえ覚えてします。自分は今より若かったし、そもそも映画というのは娯楽だからね、楽しめなければ意味がない。

だけど、ランボーを見終わった時、ベトナム戦争がもたらした後遺症について考えたね。ベトナム戦争に限らず、イラク戦争についても同じことが言える。要は戦争って人殺しだからね。

*ランボーが大佐に語る話は哀しい

自分に正義があると思って戦わなければ、生き残れる可能性は低くなる。そして、最初の1人を倒した時は震えるんだけど、次からはそれが当たり前になっていく。相手を倒した数だけ勲章が増え、戦場の英雄にもなる。

でも戦争が終われば、積み重ねたその経験も多くは苦しみに変わっていく。現在は無人機での戦いも増えていて、遠隔操作する人間が相手を見ずして倒していくことで、後日PTSDになっているとも聞く。戦争はどんな形でやったとしても、心に障害をもたらすってことだろう。

*この歌を聴くたびに ランボーの孤独を思う

生身で戦ったランボーのベトナム戦争。戦争が終わっても、今なお苦しんでいる人もいるんだ。現実の戦争は、ゲームの中でやるお遊びとは違う。戦争はゲームじゃない。ゲームを楽しむのは個人の自由だが、たとえ相手が空想の存在でも、殺してやるなんて言葉は簡単に口に出さない方がいい。

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