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高齢者施設での仕事開始

1月12日から予定通り、高齢者施設での仕事が始まった。まあ、仕事とは言っても研修が始まったにすぎないが。僕は夜勤専従者として雇用されたわけで、今月は9回の日勤と2回の夜勤で研修を行い、問題が無ければ2月から独り夜勤の仕事が始まる。そんなわけで、この3日間はノートにメモ書きする毎日だった。

※ 足元に霜を感じながら歩いて行く

今度の施設は某会社が運営する、高齢者向け施設のひとつ。佐倉市内の自宅(ここは賃貸が始まって4年目)からの距離は片道およそ2.0㎞ぐらい、徒歩で片道20分ぐらいだろう。往復したところで丁度いいぐらいの距離になる。京成電鉄が見える田圃の間を抜け、大きな公園を横切って到着。今は霜もいい具合に降りる。

この施設では、1階と2階に各9名ずつの利用者さんが共同で生活されている。僕は1階の担当として働くことになった。現状では1階の方々はかなり自立されており、会話を重視する時間の方が多いだろう。90代の男性2人が将棋を指しておられるのを、見守るのも仕事。耳が遠くて相手の王手を伝えるために、だ。

※ この公園を歩き始めたのはつい最近

だが3日目にして、施設内の面白い状況が分かった。この施設内では、各階のスタッフ同士の交流がほとんど無いらしい。ある職員曰く、上と下でまるで別会社みたいとか。昨年働いた施設では仲間意識に重きをおく風潮もあって、それと真逆に近い。仲間意識が強すぎると、愚痴の温床に成り易いことは否定できないが。

このたび、30歳の職員が2階に配置転換になるらしいが、10年もの間を1階で勤めたらしい。幹部以外は交流が少ないことを思えば、未知の世界へと仕事に行くわけだ。この話には心の中で苦笑した。10年もあれば人間の可能性は、かなりのモノになる。考え方はそれぞれだが、若ければ若いほど可能性は無限なのに。

※ 子供が楽しむには十分な遊具

良い面もある。職員を固定化することで、利用者さんとのふれあいは厚いものになるだろうし、互いの信用を築くにはいいかも知れない。そこに上手い具合に、業務の改善改革を加えて行けるなら別会社的でも悪くはないが、得てして上手く行かないことも多い。1階の状況は、とりあえず今は好印象で映ってはいる。

話を戻そう。そんなわけで、自立した方が多いこの施設の1階では、見守りの時間もかなり長い。見守りが必要だってことは、結局のところ、何か不測の事態が起こり得るということ。80代や90代の方ばかりなら、転倒だって突発的に起こる。それを予防するのが仕事だが、自立度が高くなるほど予防の穴は比例する。

※ これは山茶花なのかな?

当たり前じゃないかと言われるだろうが、ここに当たり前のように認知症という病気が加わるわけ。自立していても、口にされていることや行動されていることを、本人が意識できずにおられることも多い。必ずしも、自立=本人ではない。そこはいい意味で、口八丁も大事な見守りの為の手段になる。語彙は豊かにだ。

今の90代の方々は、昭和の戦前生まれということになる。太平洋戦争の戦火をくぐり抜け、今日に至っている。他人であれ、人生の先輩方として大切にすべき存在だろう。そんな方達が何かの縁で一つ所に集まり、性格が合う合わないの中で毎日を過ごされている。手助けすべきことって、本当は何なんだろうか?

※ 少なめの街頭に緑も映える

まあ、施設で暮らすと言っても、個々の人間である以上はそれぞれの生活習慣もあるわけで、過剰すぎる関わり方はご法度だ。誰だって触れて欲しくないスペースがあって、感情のぶつかり合いが起きるようなことは避けたいもの。近すぎず遠すぎずを守りながら観察力も生かし、まずは今月を計画通りに過ごしてみよう。

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